入社後まもない人や友人から、仕事に対して相談されると、「塞翁が馬」という格言を使ってお話させていただくことがあります。
診療内科医の海原淳子先生がコラムに度々書かれていたり、サッカーの岡田武史元監督が色紙の座右の銘にされてもいます。私自身も好きな格言ですので、紹介させていただきます。
海原淳子先生のコラムを引用します。
「人生には思い通り、希望通りにいかないことがたくさんあります。どんなに努力しても手に入らないものもあるし、この仕事をしたいと思っても自分に回ってこないことも多いのです。そんな時、私は、自分の手に入らないものは自分にふさわしくないもの、自分の前に開かれない道は自分が進むべき方向ではないのだろう、と考えています。そして開かれた道こそが最もふさわしい方向と信じて、与えられた場がカッコよくなくても地味でも、その場でできる限りの努力をしようとしてきました。
「人間万事が塞翁が馬」という格言をご存知ですよね。何が幸いであるかはわかりません。希望どおりにいかないことが人生に必要なこともあるのです。与えられた場を自分の場として信じて努力すると、努力のプロセス自体が喜びに変わります。結果としてそれが他人からの評価になるか否かはわかりませんが、納得した人生を送ることはできます。」(平成24年5月4日、 読売新聞人生相談の回答部分より)
人間万事塞翁が馬
昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占い術に長けた翁(老人)がいました。
この老人は飼っていた馬が逃げてしまいます。人々が気の毒がって慰めに行きますと、「悲しむことはない。これがどうして福とならないといえようか」と老人は答えます。
やがて、その逃げた馬は駿馬(足の速い優れた馬)を連れて戻ってきます。それを知った人々たちは喜び祝いますが、老人は今度は「喜ぶことはない。これがどうして禍(わざわい)をもたらさないといえようか」と言います。
馬が好きな老人の息子が馬から落ちて、足を骨折してしまいます。人々が見舞いに来ますが、老人は「これがどうして福をもたらさないと言えよう」と言います。
一年後、異民族が攻め込んできて戦争となり、ほとんどの若者は徴兵されて、多くが命を落とします。しかし老人の息子は落馬による骨折で徴兵されず、兵役を免れたため戦死しなくて済みました。
人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからず、予測できないものとたとえです。
私も良いこと、悪いことも含め、今与えられた場が自分の場であると信じ、日々精進していきたいと思います。よろしくお願いいたします。
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